2012年12月18日火曜日

もしもし。聞こえますか。もしもし。お元気ですか。

その人とは、もう3年くらい会っていない。

それでも、いつだって近くにいるような気に勝手になっていて
連絡を取ってなくても会ってなくても、きっと元気にしてると思ってた。


今、その人に会いたいと思った。
でも、どうやら今は、会えないようだ。

会えないとなると、急にすごく会いたくなってくる。
ひどい奴だな私は、と苦笑する。


でも、仕方ない。そんなもんだ。
今は会えない。仕方ない。



でも。不思議な感覚で。

恋や愛でなくても、人はこんなに人に会いたいのだ。



・・・・・・



いや、もしかしたらこれは、恋ではないけど、愛なのかもしれない。

人を愛することというのは
特別なことではなく
もしかしたら
とても近くにあることなのかもしれないな



よりによって、こんな風にして、気付いたりする。



2012年10月20日土曜日

人を撮るということ。

一眼レフを初めて買ったのは、かれこれもう4年くらい前になってしまった。
最初は公演のチラシを撮るためだけに買ったのだが、今では毎日持ち歩くようになった。

愛知芸術文化センターが20周年を迎える記念事業に記録写真として参加している。


愛知芸術文化センター 開館20周年記念 パフォーミングアーツ公演
金の文化祭 in AICHI  ~Golden Anniversary~
http://bunkasai-golden.jimdo.com/


本当に、人を撮ることは難しい。
だからきっと面白いんだろうけど。

それにしても、稽古を見ていると自分も参加したくなってくる。
この舞台はきっと、すごく楽しい舞台になる。

昨日、キャストの人とゆっくり話をする機会があった。
その中で思ったのは、きっと、彼らの持つパワーに、私がまだ追いついていないんだ。

彼らの温度は本当にはんぱない。
でも、人を寄せ付けない類のそれではない。

みんな本当になつっこくて、何より、全力だ。

そんな彼らのその温度を落とさないように、むしろその温度が最高潮の瞬間に
それを切り取ることができたら、素敵なことだと、思うのだ。

明日からまた毎日彼らと会う。
彼らはどんな顔をして、明日はこちらを見てくれるか、今から楽しみだ。


2012年9月30日日曜日

更地 @ 京都

昨日は、11/3-4に記録写真にてお世話になる、kunioさんの更地を見に京都に行ってきた。

更地は、男女の二人芝居だったのだけど、とても美しく、いとおしい作品だった。

杉原邦夫さんの演出はとても清々しく、観ている側をあっという間に
芝居の世界に引き入れてくれた。
本来は初老の男女の話を、あえて20代前半の役者を選んでいたのだが、
若い役者が演じることで、登場人物の心情が、なぜかリアリティを増していたように思う。
役者の演技力ももちろんだが、なんというか、初老の男女が変わらず持ち続けている
小さなときめきや、相手への愛情みたいなものそのものが舞台に出てきた感じだった。

そして、台本自体もとても素晴らしいものだった。
太田省吾さんの1992年の作品とのことだが、全く時代を感じさせない。
それどころか、私自身が年をとったのもあるかもしれないが、とても“今”なのである。

こんなにも、セリフの一つ一つが心にずしんとくる作品は久しぶりだった。
そして、それが心にずしんときたのはやはり、台本だけでなく
あらゆるものが重なり合ってできた“作品”だったから、なんだろう。


観終わった後、なんとなく京都の河原町近辺をぶらついた。
京都は観劇やライブなんかで、しょっちゅう一人でも来ているのだが
改めて歩いてみると、見えないものがたくさんあった。

街並みや人々の生活や、鴨川の音や、風。
素敵な街だと、改めて感じた。
今度は、きっちり予定を立てずになんとなく来てみるのも良いのかもしれない。





2012年9月26日水曜日

一人酒

今週は月曜から友達と祝い酒を飲んだ。
人と飲む酒はいいなと思った。
 

一人暮らしをしてから、一人酒というものをするようになった。
実家にいたときは、たぶん一度も飲んだことがなかった。

残念ながら、あまりお酒に強くない。
母が鹿児島出身だというと、たいていお酒に強いのかと聞かれるが
母も弱いから、当然、強くない。

一人で酒を飲むときは十中八九、残念なことがあったときか
やきもきしてるときか、まぁ要は、気持ちが前を向けない時が多い。
酒を飲むことで前を向けるかと言われれば、残念ながらまず向けない。
見ないふりをするための、とりあえずの特効薬といったところだろうか。

以前に、一人暮らしをしている友達と話をしていたら、その友達はほぼ毎日
一人で酒を飲んでいるといっていた。
そうなると、その人にとっては、お酒と悲しいことは結びつかないということだ。

私もそんなふうにすれば、もう少しお酒と上手な付き合い方をできるのかもしれない。


こんな文章を書いている自分は、残念ながら一人酒の最中で、
もしかしたら、明日か明後日には、この文章はお酒を飲んでいない私によって
なかったことにされてしまうのかもしれないな。

でも、たまにはこういう衝動で文章を書いてみるのも良いのかもしれないし
文章なんて、衝動がないなら書くべきではないのかもしれない。

あらかじめ決められた恋人たちへ という変わったバンド名の『翌日』という曲を聴きながら
明日のことを考える。

こんな『翌日』が来るなら、きっと私は今日よりずっとずっと、強くなれる気がする
でも、翌日は“来る”ものではなくて、きっと向かっていくものだし、創っていくもんだ。



2012年9月15日土曜日

東京アパッチ族

 
気付けば1か月が過ぎていた。
 
というのは嘘で、気付いていながら1か月が過ぎた。
怒涛のごとく、あわただしく濃厚で深すぎる1か月が終わった。
 
 
私も高校生のころから足を運んでいた七ツ寺共同スタジオが40周年を迎え、
40周年記念プロデュース公演に、演出部として参加した。
 
演出部とは、言ってしまえば演出助手のようなもので、
演出が、より円滑に芝居作りに臨めるための対応や、ちょこっと気付いた演出的な話をしたりする。
 
正直、こんなに大変な舞台づくりは初めてだった。肉体的にも精神的にも。
同時に、自身の力不足を痛感したし、たくさんご迷惑もかけた。
 
ただ、本当にいろいろと、身に染みる期間だった。
迷惑をかけた分学ぶことが山のようにあって、怒られた分だけ反省があった。
反省の次に来る実践に早くうつさなくてはならないんだけども。
 
ただ、いつも不思議だったのは、いざ稽古に出向くと、楽しいのだ。
いや、楽しいとはちょっと違うな。なんか、ざわざわと胸の奥が疼くのだ。
どんなに大変でも、1日のうちにふと、その大変さを忘れる瞬間が必ずあって
そんな瞬間があったからこそ、私はここまでやってこれたんだろうと、今になってみれば思う。
 
そして何より、本当に素敵な人たちに出会えたことを、心よりうれしく思う。
みんな、素敵な目をしていた。
 
 
 
アパッチが終わって最初の週末。
一人暮らしを始めてから、一番汚くなってしまった部屋をまずはきれいにして、
そして、また新しいことへの一歩を踏み出す。
 
今日は12月にかかわる舞台の最初のワークショップ。
さらに、12月半ばには、芝居ではない、ちょっと素敵なイベントがやってきそう。
 
とても楽しみ。

 
 
 

2012年8月14日火曜日

いろんな色を見た。

突き刺さるような緑とか
時間を含んだ赤とか
目が開けられないような青とか
色のない光とか
真っ黒な海とか
赤黒い地層とか
色が、もうめまぐるしくて。

色ってのは目だけじゃなくて、体が吸い込むもんなんだと思った。


知らないところには、知らないものしかない。
知ってるつもりのものでも、知っていくもののような気がする。

それは、なんというか、不思議な感覚。
海に住んでいることが当然になってしまうような、そんな感覚。
・・・つくづく、自分のたとえはわかりにくい。


普通に寝てやってくる明日だってきっと、そんなふうなんだ。





2012年8月2日木曜日

泣き言

最近、よく泣きそうになっている気がする。
時には実際に泣いている。


映画の予告編にぐっときたり、今日は美術館で子供と目があって
その子が笑いかけてきただけで、泣きそうだった。

涙もろくなったんだろうか。

小さなことにも感動したり、動揺したりするようになったんだろうか。

それならそれは、悪いことではないのかもしれないな。




2012年7月29日日曜日

7月が終わる。

言葉に出しても、変化のないことはいうべきじゃないということを言って
寒いだとか暑いだとかを、あまり言葉に出さない友達がかつていた。


家の近くの商店街にある自転車屋さんに、青のつなぎを着た清々しいしゃべり方のおじちゃんがいる。
店舗の奥には自転車屋さんの家の居間が見えるようなところで、小さくテレビの音が聞こえたり
いつだったかには、おじちゃんの孫であろう子が、こっちを見ていた。

昨日、その自転車屋さんに空気入れを借りに行った。
そしたら、自転車屋さんが、なんかよくわからない簡単に入る空気入れで、空気を入れてくれた。


おじちゃんがなんとなしに、『暑いねぇ』と呟くような、話しかけるような口調で言った。
そうですねぇ。暑いですねぇ。って返してるうちに、空気が入った。

『また困ったらおいで』と送り出されて店を後にする。


いいなと思った。
変化はないかもしれないけど、意味がない言葉なんてきっとないんだなと。
いやむしろ、意味はないかもしれないけど、言葉にすれば、どこかに変化があるんじゃないかな。


もうすぐ7月も終わる。
今日も、暑い一日になりそうだ。

2012年7月7日土曜日

The ALAMO

わかりやすく朝寝坊をした。
といっても10時過ぎだけど。

休みの日でもだいたい8時に起きていて、実際今日も8時過ぎに一度目は覚めたが
目が覚めた自分を無視して寝続けた。

おかげで今、頭がいたい。


さて。『アラモ』という映画のサウンドトラックをYoutubeで聴いた。
なんというか、単純明白。曲がということではなく、曲の与える印象が。
単純明白だからこその力強さみたいなものを感じる。すごいなんか、迫ってきた。

ウエスタン映画は、今までほとんど見たことがない。
母がクリントイーストウッドが大好きで、彼が出ていた作品はたぶん少しは見ていると思うが
あんまり中身は覚えていない。

これを機に、何か観てみるのもありかもな。


今日は風が強い。
昨日の雨雲もどこかに飛んで行ってしまったようで、きれいな青空。
大きく深呼吸をして、だいぶ遅めの今日を始めよう。

この空ならきっと、予定が終わるころには、七夕然とした夜空が見れるかな。


2012年6月23日土曜日

かわらの町

初めて高浜市に行った。
かわら美術館でやっている『私の八月十五日展』に行ってきた。

展示自体はこじんまりとしたものだったが、作品が文章を踏まえたものが多く
1時間半くらいはいたと思う。
戦争について、あーだこーだと語るのは、正直苦手だ。
知らないことだし、自分の発言に責任が持てなくなるから。

だからこそ、責任とかそういうことがどうでもいいところにあるこの展示は、とても新鮮だった。

主観を基にした展示、主観でしかない展示。ほとんどが漫画家さんの作品だったが、中には
八月十五日に自分がいた風景があまりに殺風景で、絵にする気にならないと、言葉だけを記した人もいた。
もうすぐ、またこの日がくるんだな。


初めて行った高浜市は、不思議な町だった。
美術館までの道も、本当にここ?と思うような道をたどる。
途中、母と娘の親子に話しかけられ、ちょっと立ち話。
どうやら、道は間違えていないようだ。

しかし、歩いていると、どうも口元が緩む。とても、雰囲気が良い町。
さすが瓦の町で、ところどころに瓦やかけらや、煙突みたいなものが落ちてる。
一応、展示っぽくしてあるところもあるんだけど、手作り感満載で、町の雰囲気を顕著に出している。

思わず何度も寄り道をして、10分で到着できる道を30分かけて歩いてしまった。
寄り道して入ったところが家の入口だったり、“電話三十二番”という不思議な表札を見つけたり。
(電話交換の時代の名残・・・?)

もっともっと遠回りをしたら、いくらでも発見のできそうな町だった。
ちょっと歩くと海があったみたいだけど、埋め立て地である高浜市の海は、とても工業的で
人がそこに行くのすら、あまり歓迎的ではない様子だったので(そもそも歩道がなかった)
素直に帰った。

海は今度の休みにとっておこう。


帰りに、明日の父の誕生日の贈り物を探しに栄に行ったが、優柔不断の私は
人の多さにも圧倒され、結局、何も買わずに帰ってしまった。


ちゃんと満足できるものを買って贈ることにしよう。
父の贈り物を買うためだけに遠出をするのも、ありのような気が、最近はしている。



2012年6月16日土曜日

願い。



特別なものはいらない。
自分にとって、大切だから特別になるだけなんだ。


だから、私の大事を、私は大切にしたい。

ただ、それだけだ。



2012年6月11日月曜日

The Americans

昨日ふらっと寄った古本屋の、写真集のコーナーが充実してて大興奮で
そこで流れてた曲が、その最近買ったCDの中の1枚だったりした日には
何だか嬉しくて、無駄に長居したりしてしまう。

本当は別の某本屋に行くつもりが、日曜日のせいで閉まってて、
ドアの前で『休みかよ~』オーラ出してたら誰か鍵あけてくれないかなと思ってたけど
当然そんなこともなく、泣く泣く帰ろうとして、はっと立ち寄ったっていう流れ。

本当の目的でなかった分だけ、逆にうれしかったりする。


本当の目的だった本屋のその名は、ASANO BOOKS。

学生時代に、その本屋の近くで夜勤のアルバイトをしていて、帰りに発見し
疲労困憊だったのにふらりと立ち寄ったことをよく覚えてる。

その当時は写真も映画も、そういったことに今より全然興味がなくて、
ましてや英語なんて、てんでダメだった。
そのうえ、お客さんがほぼ皆無な状態で、そそくさと失礼した気がする。
でも、どう考えてもへんてこな本屋だったからよく覚えてた。


次は土曜日に行こう。
お目当ての本も、きっとあそこならあるような気がしている。
それを見つけたら、休日らしく、その本屋で時間を気にすることなく居座ろう。


CD屋みたいにして、本屋で時間を使うようになっている。
音楽を聴くみたいにして、本を読んだり、写真集を見たりするようになっている。
水が浸透するみたいに、それらを感じてる。

あー。
そんなふうに、そんなふうに。

2012年6月9日土曜日

雨が降ってる。

今、雨が降ってて、たまたまyoutubeでclammbonのRe-雨という曲を見つけて
いろんな雨の日を思い出していた。

雨女という言葉を使いたくはないけど、私の記憶には本当にたくさん雨がある。

2年前の梅雨に、たぶん人生で初めて蛍を見た。
その時私は初めて蛍を知って、愛知県で蛍が見れることに、すごく衝撃を受けて
何より、蛍があんなふうにして光を放つことが、夢みたいだった。

#2公演の夜に、台風が来て大雨が降り、会場にしていた鶴舞公演の奏楽堂は雨漏りがして
みんなでビニールシートをしいたりした。
台風は夜には去って、嘘みたいな青空で、これまた真っ青なビニールシートを乾かした。

沖縄に初めての一人旅をしたときは、5日行って5日とも必ず1回、雨が降った。
もう、傘を使うことがあほらしくなって、傘を全く使っていなかった気がする。
でも、悪い気は全然しなかった。むしろ、たぶん笑ってた。

記憶に雨がついてくることが特別じゃなくなったころから、雨がそんなに嫌いじゃなくなった。
嫌いじゃなくなったというよりは、晴れることに、いろんなことに、あまり期待をしなくなった。
別にそれは、悲観的な感じではなく、重きを置かなくなったという方がしっくりくるくらい。
期待する必要はないと、今でも思う。
でも、雨が降るなら、それを味方につけてしまうような記憶にだって、いくらでもなる。
と、今は思う。

事実、記憶を雨と一緒に過ごすことが多い私には、それを裏付ける要素が、たくさんある。
当然のことだが、結果に過ぎないことなんて山のようにあって、結果の前の、過程に

自分は立ってる。

2012年5月31日木曜日

日々の習慣と、何でもない日常

朝起きて、一番にやることはラジオの電源を入れることだ。
昨日、朝起きていつものように電源を入れた。
・・・あれ。音が出ない。
最近、夜にうっかりすべての電気をつけっぱなしで眠りについてしまうことがよくあったから
そのせいで電源がつけっぱなしなのを切ってしまったのかなと思ったがどうやらそうでもない。
あれ。あれ。・・・あれ?

ためしにCDを再生してみる。
動いてるのに音がしない。

スピーカー故障?
シールド故障?
どゆことだ?

とりあえず、無音のまま朝の準備をする。


どうしようどうしよう。
朝のラジオがなくなるのはまだいいとして、音楽が聴けなくなるのはかなりきつい。
私の部屋の音は、TVは夕飯を食べるときに見るくらいで、あとは大半CDだ。
どうしよう。と思いつつも、その不安は仕事に紛れる。

そして昨日は、仕事で自分でも呆れるようなへまをしでかし、凹んだ。
凹んで帰った日は、帰りにコンビニで自分の好物とか体に悪いけどおいしいものとかを買って
大好きな音楽を聴きながら、それら食すに限る、と思い
昨日もコンビニで好物の練り製品を買って、カギを開ける。
その途端に故障していたコンポに気付く。
うわ、そうだった。まじか。と気付き、実際にひとりごちる

あーあ。と言いつつ、ご飯の準備をしてテーブルにつき、ダメ元で再生を押した

そしたら、何て事はない。何てことなく音がでた。

たぶん、凹んだ私を憐れんだ何かしらが、
せめてもの元気づけにコンポの故障をなかったことにしてくれたんだろう、
と、思うことにした。
そして、コンポから流れる音と何かしらに、本当に感謝した。


今日も、無事音は流れている。
やっぱり、感謝している。

2012年5月19日土曜日

つみきのいえ

今日は刈谷まで加藤久仁生さんのアーティストトーク&アニメーション上映会に行ってきた。

http://www.city.kariya.lg.jp/museum/exhibition_2012_katokunio.html

最近刈谷に行く用事が増えて、刈谷駅にあったポスターがずっと気になっていたので
今日ちょうどトークと上映会なら行ってみようと思い立っていってみた。

そしたらびっくり。
13:30から開始だったけど、12:30から整理券を配っていたとのこと。
早い人で11:30から並んでいたそうで、予定の250人はあっという間に終了。
会場の人曰く「こんなに人が並んだのは初めてだった」。

しかし、心優しい刈谷文化センターの人。
「モニター越しですが・・・」といって椅子を出してくれた。優しい。素敵。


さて、内容は作品上映を交えての1時間30分くらいのトーク。
トークも聞けた上に、かなり初期の作品も見れて、とてもラッキーだった。
そして加藤さんの不器用そうな話し方の中に見え隠れする、作品への愛情に、
芯みたいなものを感じた。


そして何より、『つみきのいえ』。
さすが、今年のアカデミー賞短編アニメーション部門を獲得した作品。


すごい。


アニメーションのスキルとか、そういう細かいことは私は知らないけど
ストーリーや、ストーリーとアニメーションがそれぞれ生きている感じ、
登場してくる人物の優しさや深さ。
たった12分の作品だけど、2回見て2回とも泣いた。
最近涙もろいせいもあるかもしれないけど、でも作品自体の持っている力は間違いないと思う。

温度を、温かみを、目から感じたのは初めてだったかもしれない。

アニメーションは刈谷市美術館で開催されている展覧会でも見れるため
お暇ある方はぜひとも。

人生のうちで出会っておいて絶対損はない、むしろ出会えて本当よかったと思う作品だった。

2012年5月16日水曜日

金環日食

思ったよりも帰りが遅くなり、すごくラーメンが食べたい気分だったけど
夕飯のために、冷凍していた豚肉を解凍していたことに気付き、
しぶしぶ家で夕飯を作り、しかしながら、作ったら作ったで、結局うまいと納得しながら
金環日食のニュースを見ていた。

金環日食の日は、たまたま有給休暇だということにふと気づき
寝坊せずにちゃんと見とかないとな、と気持ちを引き締める。

金環日食のことを考えながら食べ終わった食器を洗い、麦茶が切れてたので
麦茶用のお湯を沸かしながら、ついでにコーヒーの準備をして、といってもインスタントだけど
ぼんやりと、やかんを眺めていたら、Fishmansを口ずさんでいる。

お湯が沸くまでの時間にごみを捨てに行ったら、空気が生温かくて、おやと思い
さっき口ずさんだFishmansの曲がいよいよ聴きたくなる。

彼らが最後にやったツアーのライブ音源。
2曲目に、さっきまで口ずさんでた『ナイトクルージング』という曲が入っていて
その曲を聴きながらコーヒーを飲んで、今に至った。

CDは6曲目になって、気付いたら10時を回ってる。

夜の時間が過ぎるのが早くて、私はなかなかついていけない。
昨日も、夜はまだまだと思いながら、気付いたら眠りについてて
電気をつけっぱなしのまま寝入り、次に時計を見たら5:30だった。



結局のところ、金環日食のことを思いながら、
時間が過ぎていくことに少しだけ意識的になって
時間が過ぎていくことに少しだけ意識的になったら
Fishmansが聴きたくなったのだった。


そんな本当にどうでもいいことを考えて、いろんなことを考えても、考えなくても
夜はどんどん更けていくし、ごみを捨てて外の空気があったかいことに気付くみたいに
夏が来るんだろうと思う。

2012年5月2日水曜日

装苑

最近、自分のあまりの無知が悲しくなり、世の中をもう少し知らないといけない気がして
雑誌を買って読んでみた。

中でも、“装苑”がとても面白い。
記載されている題材や情報や、切り口やレイアウトや、とにかく本当に面白い。
雑誌というか、これは本当に、一つの立派な作品ではないかと思うほど
情報と、何より気持ちの詰まった本だと思った。

高校生の時にこの本に出会ったら、東京にたまらなく憧れを持っただろうな

と思ったが

この本がとてつもなく面白いと思うのは今の私であって
高校生の麻原奈未は、きっとこの本は面白いとは思わなかったんだろうな

と思い直した。


出会うことに、早すぎることも遅すぎることもきっとないんだろうと、今は思う。

2012年4月30日月曜日

女子高生。

舞台美術の野地恵梨子にコメをもらった。
会社の関係の人から20キロくらいもらったとかでおすそ分けしてもらった。
重たい。
が、一人暮らしにはとてもありがたい重たさ。

大事に食べよう。ありがとう。野地の会社の知り合いの人。と野地。


そのついでに、昼食を共にしつつ次の構想について、妄想をめぐらしていた。


妄想を語るにあたり、女子高生の話になった。

女子高生の休日の過ごし方とか
女子高生の打ち上げとか
女子高生の考えてたこととか

そして、かつて私らは、どんな女子高生だったんだろう?という話にもなった。
自分が制服を着ていた時代のことを考えて、思わずほくそ笑み
目の前に座っている野地恵梨子の制服姿も想像したら、ニヤリっていう感じの
変な笑い方をしてしまった。

一生懸命思い出してみたが、部活ばっかやって、部活の友達と遊んで、
テスト間近は勉強して、みたいなことしか思い出せなかった。

そんでもって、狭いコミュニティーだったんだね、そう考えると。という話になった。
その当時は大草原みたいな気分だった。気がする。
というか、自分が置かれている世界のことなんて、考えることすらなかった。気がする。

そして、大草原を少しだけ抜け出た今は、自分の世界がまだまだ狭いと感じるんだから
不思議な話だ。
ここからまた少しだけ抜け出したら、今度はどんなふうに思うんだろう。


女子高生の夏休み、私は何をしていたんだろうなぁ。


結局、次回の構想の話なのか、今の妄想の話なのか
よくわからない話を延々して、野地恵梨子は七ツ寺共同スタジオへ旅立った。


隣の席には、わりと有名なお嬢様学校であるS山女学園高等学校の女子高生二人がいて
女子高生が徐々に会話が減っていったのが、私たちのせいではないことを切に願う。

2012年4月23日月曜日

音 と 言

久しぶりに、音によって心がどくんと揺れる瞬間に出会う。
音が心に振動を与えると、その衝撃で言葉がこぼれる。
そんな風に、オトによって生まれたコトが、私にはとてもしっくりすることが
とてもよくある。


今日は車を運転しながら、土曜日に衝動買いした5枚のCDの中の
4枚組のCDを聴いていた。
4枚組のうちの3枚目を聴いたときに、あーやばいよやばいよって
そんな感じになってきた。きてしまった。


運転しているにも関わらず、あわてて手帳を取り出して
とりあえず溢れてしまった“言”をこぼさないように書き留めて
そしたら止まっていた赤信号が青に変わっていて慌てて車を走らせた。


その“言”がどうなるかは、正直私もよぅわからないのだけど
でも、それでも溢れてきたのなら、とりあえず出会ってはおきたいと
そう思ったのだ。そして、ちゃんと出会ったのである。


自分のことに自覚的になることがちょっと難しいなってことは、私はよくあって
ただ、今日生まれたこの出来事や、書き留めた言葉は
あ、これは私だと、なんとなく思ったのである。


そして、どこかで今日のこれを、自覚した私を、形にできたらいいなと、
ぼんやりとそんなことを思っていた。
今だって、思っている。

2012年4月14日土曜日

時間。


先日、舞台美術の野地恵梨子と飲みに行き、
もとから使っていたHPが5月何日からか使えなくなるということを、
知っておきながら後回しにしていたお互いを反省し
(というか、後回しにしていたのは、私だけかもしれません。)
あ、それならと、かねてから考えていた日記をブログに変えることにしました。

日記のフォーマットが変わるのは、衣替えや引っ越しをしたときみたいで
何だか新鮮です。


だいぶ話は変わりますが、今年は新潟の越後妻有トリエンナーレがありますね。
3年前に行ったときに、自分の想像をはるかに超越した楽しさて、大興奮でした。

今年も行きたいなぁ・・・。

その前に、イベントやフェスが盛りだくさんのシーズンがやってきました。
明日は、団員の親泊マユカが鶴舞公演で音楽のフェス(?)を行うようです。
http://www.acrosstherainbow.com/


楽しいことは、どんどん湧いてくるので、今ある楽しいことをまず
ちゃちゃっと楽しんじゃおうと思います。