初めて高浜市に行った。
かわら美術館でやっている『私の八月十五日展』に行ってきた。
展示自体はこじんまりとしたものだったが、作品が文章を踏まえたものが多く
1時間半くらいはいたと思う。
戦争について、あーだこーだと語るのは、正直苦手だ。
知らないことだし、自分の発言に責任が持てなくなるから。
だからこそ、責任とかそういうことがどうでもいいところにあるこの展示は、とても新鮮だった。
主観を基にした展示、主観でしかない展示。ほとんどが漫画家さんの作品だったが、中には
八月十五日に自分がいた風景があまりに殺風景で、絵にする気にならないと、言葉だけを記した人もいた。
もうすぐ、またこの日がくるんだな。
初めて行った高浜市は、不思議な町だった。
美術館までの道も、本当にここ?と思うような道をたどる。
途中、母と娘の親子に話しかけられ、ちょっと立ち話。
どうやら、道は間違えていないようだ。
しかし、歩いていると、どうも口元が緩む。とても、雰囲気が良い町。
さすが瓦の町で、ところどころに瓦やかけらや、煙突みたいなものが落ちてる。
一応、展示っぽくしてあるところもあるんだけど、手作り感満載で、町の雰囲気を顕著に出している。
思わず何度も寄り道をして、10分で到着できる道を30分かけて歩いてしまった。
寄り道して入ったところが家の入口だったり、“電話三十二番”という不思議な表札を見つけたり。
(電話交換の時代の名残・・・?)
もっともっと遠回りをしたら、いくらでも発見のできそうな町だった。
ちょっと歩くと海があったみたいだけど、埋め立て地である高浜市の海は、とても工業的で
人がそこに行くのすら、あまり歓迎的ではない様子だったので(そもそも歩道がなかった)
素直に帰った。
海は今度の休みにとっておこう。
帰りに、明日の父の誕生日の贈り物を探しに栄に行ったが、優柔不断の私は
人の多さにも圧倒され、結局、何も買わずに帰ってしまった。
ちゃんと満足できるものを買って贈ることにしよう。
父の贈り物を買うためだけに遠出をするのも、ありのような気が、最近はしている。
特別なものはいらない。
自分にとって、大切だから特別になるだけなんだ。
だから、私の大事を、私は大切にしたい。
ただ、それだけだ。
昨日ふらっと寄った古本屋の、写真集のコーナーが充実してて大興奮で
そこで流れてた曲が、その最近買ったCDの中の1枚だったりした日には
何だか嬉しくて、無駄に長居したりしてしまう。
本当は別の某本屋に行くつもりが、日曜日のせいで閉まってて、
ドアの前で『休みかよ~』オーラ出してたら誰か鍵あけてくれないかなと思ってたけど
当然そんなこともなく、泣く泣く帰ろうとして、はっと立ち寄ったっていう流れ。
本当の目的でなかった分だけ、逆にうれしかったりする。
本当の目的だった本屋のその名は、ASANO BOOKS。
学生時代に、その本屋の近くで夜勤のアルバイトをしていて、帰りに発見し
疲労困憊だったのにふらりと立ち寄ったことをよく覚えてる。
その当時は写真も映画も、そういったことに今より全然興味がなくて、
ましてや英語なんて、てんでダメだった。
そのうえ、お客さんがほぼ皆無な状態で、そそくさと失礼した気がする。
でも、どう考えてもへんてこな本屋だったからよく覚えてた。
次は土曜日に行こう。
お目当ての本も、きっとあそこならあるような気がしている。
それを見つけたら、休日らしく、その本屋で時間を気にすることなく居座ろう。
CD屋みたいにして、本屋で時間を使うようになっている。
音楽を聴くみたいにして、本を読んだり、写真集を見たりするようになっている。
水が浸透するみたいに、それらを感じてる。
あー。
そんなふうに、そんなふうに。
雨が降ってる。
今、雨が降ってて、たまたまyoutubeでclammbonのRe-雨という曲を見つけて
いろんな雨の日を思い出していた。
雨女という言葉を使いたくはないけど、私の記憶には本当にたくさん雨がある。
2年前の梅雨に、たぶん人生で初めて蛍を見た。
その時私は初めて蛍を知って、愛知県で蛍が見れることに、すごく衝撃を受けて
何より、蛍があんなふうにして光を放つことが、夢みたいだった。
#2公演の夜に、台風が来て大雨が降り、会場にしていた鶴舞公演の奏楽堂は雨漏りがして
みんなでビニールシートをしいたりした。
台風は夜には去って、嘘みたいな青空で、これまた真っ青なビニールシートを乾かした。
沖縄に初めての一人旅をしたときは、5日行って5日とも必ず1回、雨が降った。
もう、傘を使うことがあほらしくなって、傘を全く使っていなかった気がする。
でも、悪い気は全然しなかった。むしろ、たぶん笑ってた。
記憶に雨がついてくることが特別じゃなくなったころから、雨がそんなに嫌いじゃなくなった。
嫌いじゃなくなったというよりは、晴れることに、いろんなことに、あまり期待をしなくなった。
別にそれは、悲観的な感じではなく、重きを置かなくなったという方がしっくりくるくらい。
期待する必要はないと、今でも思う。
でも、雨が降るなら、それを味方につけてしまうような記憶にだって、いくらでもなる。
と、今は思う。
事実、記憶を雨と一緒に過ごすことが多い私には、それを裏付ける要素が、たくさんある。
当然のことだが、結果に過ぎないことなんて山のようにあって、結果の前の、過程に
自分は立ってる。
朝起きて、一番にやることはラジオの電源を入れることだ。
昨日、朝起きていつものように電源を入れた。
・・・あれ。音が出ない。
最近、夜にうっかりすべての電気をつけっぱなしで眠りについてしまうことがよくあったから
そのせいで電源がつけっぱなしなのを切ってしまったのかなと思ったがどうやらそうでもない。
あれ。あれ。・・・あれ?
ためしにCDを再生してみる。
動いてるのに音がしない。
スピーカー故障?
シールド故障?
どゆことだ?
とりあえず、無音のまま朝の準備をする。
どうしようどうしよう。
朝のラジオがなくなるのはまだいいとして、音楽が聴けなくなるのはかなりきつい。
私の部屋の音は、TVは夕飯を食べるときに見るくらいで、あとは大半CDだ。
どうしよう。と思いつつも、その不安は仕事に紛れる。
そして昨日は、仕事で自分でも呆れるようなへまをしでかし、凹んだ。
凹んで帰った日は、帰りにコンビニで自分の好物とか体に悪いけどおいしいものとかを買って
大好きな音楽を聴きながら、それら食すに限る、と思い
昨日もコンビニで好物の練り製品を買って、カギを開ける。
その途端に故障していたコンポに気付く。
うわ、そうだった。まじか。と気付き、実際にひとりごちる。
あーあ。と言いつつ、ご飯の準備をしてテーブルにつき、ダメ元で再生を押した。
そしたら、何て事はない。何てことなく音がでた。
たぶん、凹んだ私を憐れんだ何かしらが、
せめてもの元気づけにコンポの故障をなかったことにしてくれたんだろう、
と、思うことにした。
そして、コンポから流れる音と何かしらに、本当に感謝した。
今日も、無事音は流れている。
やっぱり、感謝している。
今日は刈谷まで加藤久仁生さんのアーティストトーク&アニメーション上映会に行ってきた。
http://www.city.kariya.lg.jp/museum/exhibition_2012_katokunio.html
最近刈谷に行く用事が増えて、刈谷駅にあったポスターがずっと気になっていたので
今日ちょうどトークと上映会なら行ってみようと思い立っていってみた。
そしたらびっくり。
13:30から開始だったけど、12:30から整理券を配っていたとのこと。
早い人で11:30から並んでいたそうで、予定の250人はあっという間に終了。
会場の人曰く「こんなに人が並んだのは初めてだった」。
しかし、心優しい刈谷文化センターの人。
「モニター越しですが・・・」といって椅子を出してくれた。優しい。素敵。
さて、内容は作品上映を交えての1時間30分くらいのトーク。
トークも聞けた上に、かなり初期の作品も見れて、とてもラッキーだった。
そして加藤さんの不器用そうな話し方の中に見え隠れする、作品への愛情に、
芯みたいなものを感じた。
そして何より、『つみきのいえ』。
さすが、今年のアカデミー賞短編アニメーション部門を獲得した作品。
すごい。
アニメーションのスキルとか、そういう細かいことは私は知らないけど
ストーリーや、ストーリーとアニメーションがそれぞれ生きている感じ、
登場してくる人物の優しさや深さ。
たった12分の作品だけど、2回見て2回とも泣いた。
最近涙もろいせいもあるかもしれないけど、でも作品自体の持っている力は間違いないと思う。
温度を、温かみを、目から感じたのは初めてだったかもしれない。
アニメーションは刈谷市美術館で開催されている展覧会でも見れるため
お暇ある方はぜひとも。
人生のうちで出会っておいて絶対損はない、むしろ出会えて本当よかったと思う作品だった。
思ったよりも帰りが遅くなり、すごくラーメンが食べたい気分だったけど
夕飯のために、冷凍していた豚肉を解凍していたことに気付き、
しぶしぶ家で夕飯を作り、しかしながら、作ったら作ったで、結局うまいと納得しながら
金環日食のニュースを見ていた。
金環日食の日は、たまたま有給休暇だということにふと気づき
寝坊せずにちゃんと見とかないとな、と気持ちを引き締める。
金環日食のことを考えながら食べ終わった食器を洗い、麦茶が切れてたので
麦茶用のお湯を沸かしながら、ついでにコーヒーの準備をして、といってもインスタントだけど
ぼんやりと、やかんを眺めていたら、Fishmansを口ずさんでいる。
お湯が沸くまでの時間にごみを捨てに行ったら、空気が生温かくて、おやと思い
さっき口ずさんだFishmansの曲がいよいよ聴きたくなる。
彼らが最後にやったツアーのライブ音源。
2曲目に、さっきまで口ずさんでた『ナイトクルージング』という曲が入っていて
その曲を聴きながらコーヒーを飲んで、今に至った。
CDは6曲目になって、気付いたら10時を回ってる。
夜の時間が過ぎるのが早くて、私はなかなかついていけない。
昨日も、夜はまだまだと思いながら、気付いたら眠りについてて
電気をつけっぱなしのまま寝入り、次に時計を見たら5:30だった。
結局のところ、金環日食のことを思いながら、
時間が過ぎていくことに少しだけ意識的になって
時間が過ぎていくことに少しだけ意識的になったら
Fishmansが聴きたくなったのだった。
そんな本当にどうでもいいことを考えて、いろんなことを考えても、考えなくても
夜はどんどん更けていくし、ごみを捨てて外の空気があったかいことに気付くみたいに
夏が来るんだろうと思う。